朝、散歩しながらゴミを拾っているのですが、五月下旬のある日のゴミです。
一日の可燃ゴミの量(写真左)が、約5カ月分の自分の可燃ゴミの量(写真右)を遥かに超えました。
可燃ゴミが0.8kg、ペットボトル・缶が0.2kg、合計1.0kg。
散歩の場所によって多い、少ないの傾向があります。
兎に角、拾うゴミに事欠かないという悲しい現実があります。
ゴミの分だけ「消費(需要)」があり、それによって新たな「生産(供給)」が発生している事を考えると、やるせない氣持ちです。
所有という概念
所有という概念により、「自分の所有物である・ない」という分離意識が働きます。
それにより、「汚くなっても、壊れてもどうでもいい。自分の物でないから」という氣持ちが芽生え、ゴミを捨てることに躊躇しなくなる主因だと思います。
しかしながら、ありとあらゆる地球の物に人間の物(自分の物)は一つもありません。
これも環境破壊の一つですので、個人としてだけではなく、地域、さらに国として因果を背負わなくてはならないようです。
ニュース
その日に「2年近くにわたり、道路へたばこの吸い殻を捨て続けていた男性が検挙された」という記事がありました。
出典:深夜や早朝に張り込み…74歳、多量のたばこ投棄検挙に貢献 北九州 | 毎日新聞
現場付近でタバコ3本を捨てたとして廃棄物処理法違反容疑で男性を検挙した。市内に住む50代で当初は容疑を否認したというが、田川さんが回収した吸い殻についた唾液などのDNA型鑑定で男性のものとされ、容疑を認めたという。
「毎日捨てた吸い殻が清掃されているのに気がつき、掃除している人が悔しい思いをしているのを想像すると開放感が得られた」などと供述している
思った事に関連する情報が入ってきてます。出来すぎです(笑)。
すべては因果の法則が働きますので、この男性は蒔いた種の果実を受け取ります。
行った事の愚かさに氣付き、反省し改めるまで、何度でも果実は受け取らなければならないようです。
その果実をすぐに受け取るのか、もしかしたら来世に受け取るのか、分かりません。
こうやって私たち(靈)は成長していくようです。
ですので、このような事を「他山の石」として自分の成長に役立てる事ができれば、要らぬ苦労はしないで済みますね。
読んでいただきありがとうございます。ご縁に感謝いたします。