快適な暮らしの中で現状が当然と思い、「感謝の念」を忘れてしまった私たち。
結果、欲望・欲求を加速度的に増やし、地球の資源を貪り、地の大神様を瀕死の状態にしてしまいました。
欲望・欲求は発展のためには必要であるのですが、現代ではそれは行き過ぎています。
今こそ「足るを知る」を改めて心に灯すことが、先進国(生きる上では、実は後進国)と言われている私たちには、特に必要だと思います。
満足することを知らないと、どんなに豊かであっても安らぐことがないということ。
出典:goo辞書
真の神は、喜び与え続けておるゆえに、これ以上喜び与えられぬのぞ。
人民、己で喜び深めるのみぞ。分かりたか。
真の神、日々拝みなされよ。
拝めば拝むほどに喜び深められますのぞ。
拝むとは、感謝申し上げることぞ。
金払って願い事申すことと違いますのじゃ。出典:大日月地神示「三十五」2016年07月04日(P189)
感謝、すべてに対し顕す真の教えでありますぞ。
出典:大日月地神示「五十一」2017年07月18日(P259)
あまりにも自然環境を破壊し続けてきた生活に
そして、「地球にやさしく」生きるように生活様式を変えたことで分かったこと。
それは、
『大量生産・大量消費の狂った世界に生きていた』
「足るを知る」という種を植え直し、その種を成長させ生きるのか?
それとも、欲望のまま、氣の赴くまま、刹那に生きるのか?
全ての行動(因)は新たな変化を起こし、時間を経て新たな現実(果)として現れます。
人間に与えられた唯一の自由である「選択」。
それは、一人ひとりに委ねられています。
選択=因果応報について、大日月地神示で何度でも触れられており、改心を促しています。
今さえ良けりゃ良いと、刹那に生きる道ではならんな。
何選んでも因果であるのじゃぞ。
人民、日々何選ぶか大事なのじゃ。
食いすぎれば腹も痛くなる通りじゃな。
節するから喜び続くのぞ。
幸みな分け合えるのぞ。出典:大日月地神示「十五」2016年01月10日(P84)
読んでいただきありがとうございます。ご縁に感謝いたします。
22年05月20日:修正