自然は最適解

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自然は常に最適な解を示してくれる。

【スピリチュアル】『モモ』:機(氣)が熟したから手にした!今こそ、大人が読むべき本

久々にワクワクして読んだ本。本当に面白かった。

そして、考えさせられました。

児童文学ではあるのですが、「実は大人に向けて書いた本ではないか?」と思える内容です。

正に「今こそ、大人が読むべき本」だと本当に思います。

あらすじ

街外れの廃墟となった円形劇場に住みついた、みすぼらしい身なりの少女、モモ。近所の人々は相談をして、モモの面倒を見ることにします。そこから、近所の人々との友情が始まります。
モモの不思議な魅力にひかれて大人も子どもも次々と集うようになり、街の人々にとってかげがいのない存在となっていきます。
そんなある日、灰色の男たちがこの街に現れます。
人間の欲望に付け込んだ彼らの巧みな話術によって、街の人々は時間の節約を始めます。街の大人たちの心がどんどん冷めていき、子供たちにも広がります。
そうして、モモに会いに来る人は居なくなり、モモはひとりぼっちになります。
そこから、この時間泥棒の灰色の男達から、盗まれた時間を取りもどす奮闘が始まるのでした。

読書の切っ掛け

お金の根本を考える『エンデの遺言』( 河邑 厚徳・グループ現代 2000年02月)を知り、図書館で借りました。

しかし、読み始めても興味が沸かなかった事と時間がなかったため、読み切らずに返却しました。

題名にある「エンデ」とはミヒャエル・エンデ氏の事であり、どこかで聞いた事のある名前だと思い、ふと「『モモ』の作者?」と思いが出てきて、『モモ』の事を調べたらその通りでした。

インスピレーションを大切に

しかし、借りるまでには二転三転ありました。

最初は、普通の小説と思っていて「読んでみようか?」と思っていたのですが、児童文学と知り、意欲がなくなり読むのを止めました。

しかし、何故か心に引っかかる物があって、もう一度「読んでみようか?」と変わってきました。

数日後、別の本を借りに図書館に行った時に借りようとしたのですが、目的の本があるので「結局、時間がなくて読まないかも?」と再び止めようとしました。

でも、「面白くなければ読まなけばいいだけだし、折角だから借りて行こう」という気持ちに再び変わり借りました。

重点は、読むような気分になった切っ掛けや「何度も心(頭)に浮かぶのは、何かあるのだろう?!」といったインスピレーション(心の声)に従ったことです。

インスピレーションを大事にしなかったら、借りることはなかったです。

スピリチュアルの世界を知った事で、このような行動を取ることが出来るようになってきました。

ありがとうございます。感謝!感謝!大感謝!

※次の項目から本文の引用があります。

人生を見直すための本

この本は1973年(日本では1976年)に出版されました。

21世紀の初頭にブームになり、2000年頃に書かれた本と思っていたのですが、今から半世紀も前に書かれていた本だと知り驚きました。

そして残念な事ですが、著者がこの本で警鐘した通りの世の中になり、今なお続いています。

つまり半世紀もの間、精神的には退化し続けたと言うわけです。

 

この本の題材になっている時間は、人生と言い換えることができると思います。

なぜなら、人生は時間の積み重ねだからです。

その時間そのものに関して深く考える人は少ないと訴えています。

とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。
すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。
たいていの人はその分けまえをもらうだけもらって、それをいっこうにふしぎとも思わないのです。
この秘密とは-それは時間です。(P75)

時間を大切にするあまり、システム化による画一化が進んでいます。

それによって生活が単調になり、新たな体験が減ってきているのではないでしょうか?

そして、それらは心へ大きな悪影響を及ぼしますが、その事を軽視してると警鐘しています。

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。
じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとり認めようとはしませんでした。

(略)

けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。(P95)

今は効率至上主義に陥って「遊び」という余裕がなくなっています。

その結果、人は心がない機械的=無機質な存在になってきているように思います。

多くの店での心のないマニュアル対応を思い起こして下さい。

マニュアル化が浸透し、個性を発揮する場も少なくなってしまったと言うわけです。

以前は仕事に誇りを持っていた左官屋の二コラは次のように言います。

モモ、ごらんのとおり、おれはまたちっと飲みすぎたよ。いまじゃこれもしょっちゅうなんだ。
そうしないと、あそこでやっていることに、がまんしきれなくなるのさ。
まっとうな左官屋の良心に反するような仕事をやってるんだ。モルタルにやたらと砂を入れすぎるのさ。わかるかい?
これだと四、五年はもつけど、そのうちに咳をしただけでも落ちるようになっちゃうんだ。
インチキ工事さ。卑劣きわまるインチキ工事さ!ところがそれだってまだましなほうだ。
いちばんひどいのは、おれたちがあそこで建てている家だ。あんなものは家じゃない、ありゃ-死人用の穴ぐらだ!
思っただけでも胸がむかむかするよ!だがな、そんなことおれになんの関係がある?
おれは金をもらう、それでけっこうさ。そうさ、時代が変わったんだ。
むかしはいまとちがって、おれはひとに見せられるほどのものを建てて、おれの仕事にほこりに思ったもんだ。
だがいまじゃ……。そのうちにいつかたんまり金がたまったら、おれはじぶんの仕事におさらばして、なにかべつのことをやるよ(109)

なぜ今のような荒んだ世になったのか。

つまり、敵役である灰色の男が生まれたのか。

その理由をマイスター・ホラが教えてくれています。

人間がそういうものの発生をゆるす条件をつくり出しているからだ。
それに乗じて彼らは生まれてきた。
そしてこんどは、人間に彼らに支配させるすきまで与えている。
それだけで、彼らはうまうまと支配権をにぎるようになれるのだ。(P202)

 

人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんできめなくてはならないからだよ。
だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。
わたしにできることは、時間をわけてやることだけだ。(P211)

そうです。自分がその存在であり、全て自分が選んだ結果なのです。

誰も他人のせいにはできないのです。

「因果の法則」という宇宙の法則です。

そして、マイスター・ホラは続いて”輪廻転生"も教えてくれています。

言葉の奥には「本当の自分(靈存在)は死ぬ事はない」という事実が隠されています。

もし人間が死とはなにかを知っていたら、こわいとは思わなくなるだろうにね。
そして死をおそれないようになれば、生きる時間を人間からぬすむようなことは、だれにもできなくなるはずだ(P213)

色々と経験を積み、且つ、より死へと近づいている大人が読めば、人生について考えさせられる本だと思います。

すべてはベストなタイミングでやってくる!

「人生で起こる事は、すべてベストなタイミングでやってくる」とスピリチュアルの世界では言われています。

私もそのように思っております。

つまり、「機が熟した時にそれに合わせた現象が起こる」し、また「新たな現象が起こる(起こす)には機が熟すのを待たなくてはならない」とも言えます。

モモが「体験した事を友達に話してもいいか」とマイスター・ホラに聞いた時に言った言葉が、そうゆう事を言いたいのだと思いました。

それはいいよ、だができないだろうね。
それを話すためには、まずおまえの中でことばが熟さなくてはいけないからだ。
いいかね、地球が太陽をひとめぐりするあいだ、土の中で眠って芽をだす日を待っている種のように、待つことだ。
ことばがおまえの中で熟しきるまでには、それくらい長いときが必要なのだよ。
それだけ待てるかね!(P220)

スピリチュアル(靈性)に目覚め、時を経て成長して機(氣)が熟した今だから『モモ』を手にすることが出来た(導いてもらった)と思っています。

感謝!感謝!大感謝!

モモの話は与えられた

"あとがき"に「汽車で同じ車内に乗り合わせた人物から聞いた話である」と書いてあり、不思議な出会いから生まれた話だと知りました。

そして、その人が次のように言ったそうです。

わたしはいまの話を過去に起こったことのように話しましたね。
でもそれを将来起こることとしてお話ししてもよかったんですよ。
わたしにとっては、どちらでもそう大きなちがいはありません。(P355)

この言葉は、過去でもない、未来でもない、正に”今・いま"の大切さを訴えているのでは!

全て人には役目があります。

著者は、この話を通して「人類の靈性進化を助けるのに必要な情報を世に広める」のが役目だったのではと思います。

そのために仕組まれた出会いだったのでは?!

スピリチュアルな視点で見ない人もいますが、読んだ人にとって何かしらの影響は与える事は間違いありません。

おまけ

この話をしてくれた人物がマイスター・ホラのモデルではないかと思っています。

あと、映画『ネバーエンディングストーリー』(1984年)の原作は著者の『はてしない物語』だったんですね。
出典:はてしない物語 - Wikipedia

 

読んでいただきありがとうございます。ご縁に感謝いたします。